<その間も終わらなかった倒産処理>
私が、これまで述べてきたような「ブラック企業の日々」を過ごしたのは、2009年12月から2010年10月までの11カ月である。ちなみにDKホールディングスの債権者集会で承認され、正式に94%の債権カットが決定したのは2009年9月であった。私は、そこまで終えてブラック企業に転職をしたのだが、その後もDKホールディングスの後片付けは1年以上続いた。
なぜ、そのように時間を要してしまったかについても振り返っておこう。
何よりも、不動産の売却が遅れたことが大きな要因である。
当社は、土地を仕入れるために銀行から融資を受け、銀行は、当社が在庫する土地に抵当権を入れていた。民事再生の場合は、抵当権者は、倒産処理に関係なく当社の土地を競売にかけたりできる。しかし、現実には滅多なことで銀行はそのようなことをしない。それよりも、民事再生を出した不動産業者の地道に営業させて、少しでも高く土地を売却させ、その代金を回収するのである。
当社が倒産した直後、2009年春くらいまでは、各銀行とも皆様子見を決め込んでいた。リーマンショックの爪痕がまた生々しく、不動産を買おうという人も少なかった。
しかし、2009年夏くらいからその傾向が少し変わり少しづつ買手が表れてきた。また、銀行側としても不良債権化した融資は1~2年以内になるべく換金したい、という動機があるようだった。
そういうことから、2009年夏以降、土地の売却が本格化した。天神今泉の土地も、この頃地元のリース会社に売却した。
土地の売却は、残った取締役のうち、岩倉社長が最後まで担当した。
情報力のある仲介業者を立て、買手情報を集める。土地に対して具体的な引合いがあった場合は、現地を案内し、必要な資料を提示して検討を促す。顧客から買取希望価格の提示があった場合は、銀行にそれを報告して、その金額で売ってよいか伺いを立てる。銀行が了解すれば、売買契約を締結して土地を決済する。
その時に、売買代金は全額を銀行への弁済に使うのが原則だが、ここで弁護士とともに交渉して、抵当権のない一般債権者への配当に回すために数パーセントを会社側に残してもらうのである。
岩倉社長は、最後まで民事再生を完遂しようと、精力的に売却活動を続けた。
その結果、2010年の終わりには、工事が停止した現場を抱えた2物件を除いて、全ての不動産を売り切ることができた。
処理に2011年までかかったのは、札幌・新宿のオフィスビルプロジェクトである。これら残された現場の処理に時間がかかったのも、倒産処理が遅れた要因である。
▼関連リンク
・REBIRTH 民事再生600日間の苦闘(1)~はじまり
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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